第3話

あの日、映らない一分間が起きた瞬間、私は動けなくなりました

裏口から入ってきた猫は、音も立てずに歩いていました。
床に残る肉球みたいな滲みが、まるで道標のように奥へ続く。私は距離を保ち、息を殺して後を追います。追いかける、というより――確かめる、が近い。

猫はスタッフルームの手前で立ち止まり、振り返らずに座りました。正座みたいに。
ルナと同じ仕草。違うのは、首輪の刻印だけ。「13」。

私は手を伸ばしかけ、止めました。
この一分間は、防犯カメラに映らない。
つまり、ここで起きることは、記録されない

「……誰が連れてきたの」
独り言が、壁に吸われます。返事はありません。

私は事務机に置いたノートを開き、昨日のメモを確認しました。
〈19:28 BGM断絶/裏口/13〉
同じ言葉が、別のページにも書かれている。私の字……のはずなのに、線の癖が微妙に違う。
誰かが、私の続きを書いている。

そのとき、足音。
振り向くと、20代スタッフのナナが立っていました。
「まだ帰らないんですか?」
柔らかい声。けれど、視線は猫に固定されている。

「この子、戻ってきたみたい」
そう言うと、ナナは一瞬だけ、口元を引き結びました。
「……譲渡、取り消しですか?」
その言葉の選び方。まるで、順序を知っている

私は答えず、カメラのモニターを指しました。
「この一分、どうして毎日欠けるの?」
ナナは肩をすくめます。
「機械のクセじゃないですか。古いし」

古い。
私はその言葉に引っかかりました。
このシステムは、半年前に更新したはず。古いのは、設定だけ。

猫が立ち上がり、棚の下へ鼻先を差し込みました。
引きずり出されたのは、黒い小袋。首輪に付けるサイズ。
私は指先で開き、中を覗いて、息を止めました。

メモリカード。

「それ……何ですか」
ナナの声が、少し低くなる。

「猫のものじゃない」
私は言い切りました。
カードの角に、極小の刻印。
――13。

私は再生を押します。
映像は、ビルの搬入口
時刻表示は、19:28。
人影が二つ。顔はフレーム外。だが、片方の手に見覚えのある指輪が光りました。

心臓が、嫌な音を立てます。
その指輪を、私は知っている。

映像が途切れる。
同時に、店内のBGMが戻る。
19:29。

「見なかったことにしませんか」
ナナが、静かに言いました。
「猫のためです。ここ、守りたいでしょ?」

“猫のため”。
その言葉が、盾になることを、彼女は知っている。

私はカードをポケットに入れました。
「今夜は、私が預かる」
そう言うと、ナナは小さく頷き、視線を外しました。
その仕草が、了承ではなく、確認に見えたのは、気のせいでしょうか。

閉店後、私は一人で上階へ向かいました。
譲渡先住所の、あのフロア。
エレベーターを降りると、会社名のプレートがありました。

――その名前を見た瞬間、私は理解してしまった。
これは偶然じゃない。

その会社名は、ずっと昔、私が捨てたはずの名前。
そして、あの指輪をつけていた人間が、そこに属していた。

背後で、エレベーターの扉が閉まる音。
私は振り返らずに、ドアノブへ手を伸ばしました。

次回:上階テナントの扉が開いた瞬間、私は“過去”と再会する。

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